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NSGカレッジリーグ第三期 志・未来塾 第二回 期日:平成27年4月21日(火)

第2回テーマ「今を生きる私たちが文化を創る。新潟総踊り祭りの志が拓く未来」

講師:新潟総踊り総合プロデューサー 能登 剛史 先生




■講師プロフィール

1973年生まれ。秋田県能代市出身。 高校生で初渡米、同世代の個性きらめくさまに触発され、18歳でニューヨークへ留学。帰国後、会社勤めの傍ら地域づくりや環境問題などさまざまなボランティア活動を経験。2001年に現代版よさこいの産みの親である国友須賀氏と出会い、共鳴する仲間と「新潟総踊り祭」を立ち上げ。翌2002年に新潟商工会議所と新潟総踊り祭実行委員会(会長=新潟商工会議所会頭)を設立し副会長に就任。同年第1回新潟総踊り祭は50団体2,500名が参加。2004年には新潟でかつて行われていた盆踊りを現代的に再現しようと新潟下駄総踊りを制作し県内外、海外でも公演。2010年の第9回では参加者13,000人、観客32万人、経済効果34億円となる。2011年、フランスナント市で現地学生らとフランス事務所を開設。世界発信を目指す。2012年2月、第6回安吾賞・新潟市特別賞受賞。2013年よりアート・ミックス・ジャパンを開催、総合プロデュースを行う。

- 能登 剛史 先生

■イントロダクション

 冒頭に、一つの言葉を紹介します。「共感者でなく、共動者であれ」。みなさんはネットをよく使いますよね?「いいね!」したり、「応援します」 というコメントをしたりするのは簡単ですが、一緒に動く・働く状態になれる人はとても少ないです。そこには、「志」というものが必要です。今日はそういう話を、人生を少しだけ先に生きている者として、みなさんに届けたいと思います。

■新潟総踊り祭りでの感謝と成長

 まずは、新潟総踊りとアート・ミックス・ジャパンの簡単な紹介からはじめます。新潟総踊り祭りというのは言葉の通り、踊りの祭典です。ルールはたった一つ。「心を込めて踊る」ということ。今年で14年目を迎えますが、毎年26の都道府県から多くの出演者が集まります。

 実は、新潟総踊りというのは、私がある景色を夢見てそれを実現した結果です。その実現の過程で感じた事は、「感動は人を動かす大きなチカラだ」ということ。感じて、動く。情熱を持って一生懸命動く姿、汗や涙に人の心は動かされるのです。踊りで言えば、テクニックのあるプロがどんなに上手に踊っても、心がこもっていなければ素人の「情熱に溢れる踊り」には勝てません。

 一つ、エピソードを紹介します。ある年の総踊り祭りに出演予定だった子供さんが、祭り前に亡くなるということがありました。そのチームの演舞のエンディングで、感極まったメンバーの方々が、亡くなった子の名前を叫んだんです。すると、何も事情を知らない観客の目に涙が滲んだのです。たった5分の素人の踊りでさえ、想いを込めた行動に多くの人の心が揺さぶられた瞬間でした。

■気持ちを“表現”する 

 さて、総踊り祭りは新潟市内の複数の場所で行います。いつの頃からか、会場となっている商店街の方々が出演者におもてなしをしてくださるようになりました。特に山の下商店街は、県外からの出演者から「あそこで踊りたい」と指定されるほどの人気です。それは何故か。そこには、触れ合いがあるからだとみなさんおっしゃいます。飲み物などのおもてなしだけでなく、地域の人たちからもらう「がんばって」「今年も会えたね」「また来てね」という言葉に、「ありがとう」 という気持ちになれるのだそうです。このように人をもてなす気持ちや感謝の気持ちは、形にしないと分かりません。言葉や態度は、その形に表す第一歩なのです。

 皆さんの生活で、ありがとうと言う機会はどれ位ありますか?僕は、その機会こそが人を成長させてくれるのだと思います。先ほどの触れ合いのエピソードからも分かる通り、新潟総踊り祭りには、その感謝の機会が存在しているのです。

■アート・ミックス・ジャパンでの感謝と成長

 続いて、アート・ミックス・ジャパンについてお話しします。これは、伝統文化や芸能について、短い時間と安い価格で敷居を下げ、多くの人に観てもらう機会を作って、伝統芸能の情報を新潟から発信しようという取り組みです。

 皆さんは、歌舞伎や落語などを鑑賞する機会や観ようという気持ちがありますか?AKBがNGTとして来たから行ってみようかという気持ちの方が、あるのではないでしょうか。それは、分かりやすい形で皆さんに情報が届いているからです。アート・ミックス・ジャパンは、昔からある伝統芸能だって、分かりやすく伝われば価値が伝わるはずだという想いで開催するようになり、今年で3年目です。

 初回で多くのお客さんを集められなかった悔しさをバネに、2回目に向けて必死で考え、ガムシャラに動きました。その過程で応援してくれた人たちには、本当に感謝していますし、受けた恩を返したいとも思っています。ここでも、僕は成長の機会をもらっています。

■生い立ちと、変わっていく「夢」

 僕は1973年に秋田県能代市に生まれて、子どもの頃に新潟に引っ越してきました。秋田は祭が盛んでもありますし、実家は老舗の糀・味噌等を営んでいます。もしかしたら、この受け継がれてきたDNAの中に祭りの要素入っているのかもしれません。将来は秋田に帰るのかと時々聞かれますが、僕は新潟に骨を埋めようと思っています。僕の夢は「次の世代のために、感動ある未来を残したい。そのために、新潟総踊り祭りを千年続く祭りにしたい」というもの。千年先に自分の命はありませんが、志としてそういうものを持っています。また、アート・ミックス・ジャパンについては、2020年の東京オリンピックに向けて、世界から人々を迎えるきっかけにしたいとも思っています。

 今こうしてかっこいい夢を語っていますが、子供の頃は野球選手や宇宙飛行士、中学生の頃におもちゃ屋や先生という子供っぽい夢しか持っていませんでした。 それが高校生になって、宝石屋になるという現実味を帯びた夢を持つようになりました。皆さん、夢を持つというと難しく考えがちですが、今持ってなくてもいいのです。もっと言えば、持とうと思えばすぐ持てます。そして、それは変わっていっていいのです。

 さて、宝石屋になりたくて、高校時代に専門知識を学ぶためにニューヨークに渡りました。その頃見ていた映画は、「STAND BY ME」「Never Ending Story」「オネアミスの翼」など。これらに共通するのは、自由・あきらめない心・仲間を大切にするということでしょうか。この辺りの価値観が僕に影響を与えたような気がします。

■挫折

 実は、僕には今年24歳の娘と22歳の息子がいます。高校3年時に授かり、両家の親族にすごく怒られました。そしてそんな時、周りの人から「生まれてくる子供のために頑張れ」と言われたことが、当時の僕の支えになりました。留学先のニューヨークのマンハッタンには、目の色も肌の色も違う人たちがいます。そんな中で自分はポツンといる目の黒い日本人でしたが、その時は自分には子供がいるという想いが、何があっても負けないという気持ちにさせてくれました。夢を持った時や環境が大きく変わった時、助けてくれるのは必ず周囲の人です。

 しかしながら、結局ニューヨークで僕の出した結論は「宝石は自分に向いていない」というものでした。失意の元に帰国した僕は、ビール瓶の回収で生計を立てていました。それでも結構な収入で、勤務時間も決まっているし、家族との時間も取れました。ただ、挫折した後ろめたさ、空虚な気持ちが自分を支配していたのも事実です。そんなある日、30代の方に自分の気持ちを聞いてもらう機会があり、その時に言われた言葉が「もっと夢を持って、前を向いて歩いていけ」。家に帰って泣きました。悔しかったからです。今の自分に夢は確かにあったのです。それは「家族と幸せに暮らす」というものでした。それではダメなのか!?そう思わされたのです。

■再び宝石に関わる

 変わるキッカケとなったのは、東京の宝石を扱う会社の社長との出会いでした。宝石というものは、人の虚栄心を満たすだけでなくて、夢を与えられるのだと教えてもらい、この時はじめて「この人と一緒に働きたい」と共感しました。やはり、どんな時も自分の未来を開いてくれるのは、周囲の人なのです。だから、人を大切にしなければ、あなたの未来も開けません。そのためには、人を大切にする気持ちを表現しなければなりません。

 その宝石会社で、19歳から26歳まで働きました。休みは月に2日だけという仕事づけの日々でしたが、ある時社長が僕に夢をくれたのです。「クリスマスは世界中に夢を与えていると言うけど、だったら三越や伊勢丹の包装紙じゃなくて、サンタの国とかの包装紙じゃないとだめだよなぁ」。何気ない笑い話のつもりだったようですが、何故か僕の心に衝撃が走り、脳天を貫かれたような気持ちになりました。「夢を届けたい、サンタクロースのような生き方をしたい」、そう思ったのです。

 繰り返しますが、夢はどんどん変わっていいと思います。誰からか受け継いでもいいでしょう。その代わりに、夢に向かってチャレンジを続けることは必要で、そのために「志」が必要なのです。

■大きな転機

 僕は、営業マンとして仕事に没頭し、結果をしっかりと出していました。しかし、25歳の時に離婚。人は、辛いことがあると自分を変えようとしますが、そんな余裕さえない程目の前が真っ暗になりました。

 そんな時、高知のよさこい祭りを新潟に招いて踊ってもらうという機会があり、金髪の派手な若者が一心不乱に踊る姿を一目見て、感動しました。そして踊り子の人たちが演舞を終え、万代シティの2階に移動して「皆さん、一緒に踊りましょう!」と呼びかけた時、驚くことに観ていた新潟の人たちが踊り始めたのです。ついには観ている人はいなくなり、全員で踊っている状況になりました。

 その群衆の中に、なんと自分の別れた息子の姿を見つけたのです。そして喜んで見て、踊っている姿を見て、「これだ!このために命をかけよう」という思いが湧き上がってきました。次の世代のためにこの感動をつなぐと心に決め、もう翌月には会社に辞表を出しました。

■新潟総踊り祭りのスタート

 こうして、自分に残された1台のパソコンだけという状態から新潟総踊り祭りがスタートしました。心が動いていれば頑張れるし、自分が動くことで少しずつでもいい方向に進むと考えれば、やる気も大きくなります。離婚・・・というのは恥ずかしくて普段は語りませんが、人間のモチベーションなんて単純なものです。

 よく、「何もないところからどうやって成功したか」と聞かれますが、答えがなくても考えながら動くことが意外と大切です。もし皆さんが新しい夢を持ったら、考えながらでも行動を起こしてみてください。そのとき、 夢について必ず発言して、周囲と夢を共有することを忘れてはいけません。たった1台のパソコンしかない新潟総踊り祭りも、詳細が説明できるようになったら、聞いてくれる人が出てきました。そして何度も何度も語ることで、「そこまで言うなら、 しょうがない」と協力してくれる人が出てきます。最初から共感者が現れると思ってはいけません。夢が大きければ大きいほど、大半が最初はしぶしぶです(笑)。そこに感謝するんです。そしてこの繰り返しで、少しずつ夢は前に進みます。

 よく人を変えれば世の中が変わると言われますが、少しずつでいいから力を貸してもらって前に進むことで、世の中があなたの夢の方向に向かってきます。それを実現するために、志と情熱が必要なのです。今でこそ秋の風物詩として定着している新潟総踊り祭りも、最初は99%の人が反対している状況で、なんとか前に進みたいと高知への片道切符を買って高知市長にお願いしたところ、応援の約束をしてくれました。こういった積み重ねが、第1回の開催につながったのです。

僕は、いつの日か「夢のチカラってすごいよね」と娘と息子に語りたいと思っています。世界規模の革命だって、革命家が目の前の人に情熱を伝えなければ実現できません。志・未来塾の講師陣はすごい人ばかりで、自分でいいのかと思ってしまいますが、想いはみんな共通だと思います。

■文化でつながる

 今では大きな規模となった新潟総踊り祭りも、まだこれからのアート・ミックス・ジャパンも、ぜひみなさんに体験してもらいたいと思っています。このような文化こそが、世界の人と共有できるのです。そして文化にこそ、共感できるのだと思います。だからこそ、新潟でこのような文化の確立と発信に、僕はチカラを注いでいます。

 ネイティブアメリカンの儀式に参加する機会があった時、日本の歌を歌えと言われて困惑しました。みなさんなら、何を歌いますか?僕がたまたま思い浮かべたのは、「夕焼けこやけの赤とんぼ♪」。歌い終わるとさらにこの歌のことを詳細に聞かれて、日本の文化のことについて何も考えていない自分に気づきました。政治、宗教、地理、歴史・・・自分の国のことをどれくらい外国の方に伝えられるのかと落ち込んでいた僕に、ある方が声をかけてくれました。

 「日本はすごいじゃないか。『いただきます』や『おかげさま』という言葉があったり、お墓参りや初詣などの宗教的・精神的行動がいい形で生活に溶け込んでいたりする」。そう言われて、改めて日本の文化の良さを納得させられました。そして、人は文化を通じてつながれることを実感しました。

■最後に

 これから、グローバル化はさらに進むでしょう。その時に外国の方とは文化によってのみつながることができます。どの文化でもいいんです。文化というのは、それぞれの人間が好きなことの積み重ねで出来上がったものだと思います。皆さん、既成概念や「こうあるべき」という思い込みにとらわれず、好きな事だけを好きなだけ、「やりたい」「知りたい」「発信したい」と渇望してください。そしてその中で感動し、感謝して、行動してください。そうすると、気がつけば多くの人と共動している状態になっています。

 改めて言います。「共感者ではなく、共動者である生き方をしましょう」。今週末のアート・ミックス・ジャパン、そして9月の新潟総踊り祭りでみなさんを待っています。本日は、ありがとうございました。

■編集後記

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 今では新潟を代表する大イベントである「新潟総踊り祭り」も、1台のパソコンから始まったというのはよく語られる話である。しかし、その背景にある能登氏の志と情熱が人を動かしたこと、そしてその動いた人に感謝することで、イベントも能登氏自身も成長してきているのだろう。

中島みゆきの楽曲で、多くのアーティストにカバーされている「ファイト!」 は、ラジオの深夜番組「オールナイトニッポン」に寄せられたハガキが元になっていると言われている。「彼女は中卒だから大切な仕事は任せられない」という、上司の陰口を聞いてしまった女性からのものだった。それに対して、中島みゆきはこう答えた。「みんながみんな、あなたのことを理解しろというのは難しいかもしれない けど、どこかに一人はあなたのことをわかってくれる人が、必ずいる。そういう風に考えるのも、素敵なことじゃないだろうか。ファイトっ!」


 ファイト! 闘う君の唄を

 闘わない奴等が笑うだろう

 ファイト! 冷たい水の中を

 ふるえながらのぼってゆけ


学生諸君。夢があるならば、周りの人に聞かせてください。そして応援してくれる人を見つけてください。どこかにきっと、君の夢を理解して応援して くれる人がいる。味方を見つけてガムシャラに動き、感謝しながら、成長しながら、夢の実現に向かって欲しい。そういう場として、この「志・未来塾」 が役に立つならば、こんなに嬉しいことはない。ファイト!