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NSGカレッジリーグ第三期 志・未来塾 第三回 期日:平成27年5月12日(火)

第3回テーマ「想うは招く 〜夢があれば何でもできる〜」

講師:株式会社植松電機 専務取締役/株式会社カムイスペースワークス 代表取締役/NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター 理事 植松 努 先生


■講師プロフィール

1966(昭和41)年北海道芦別市生まれ。

1989年、北見工業大学卒業後、菱友計算(株)航空宇宙統括部に入社。1994年同社を退社し、植松電機入社。1999年に植松電機を株式会社に改組し専務取締役に就任。

2006年、株式会社カムイスペースワークス(略称:CSW)を設立し、代表取締役に就任。

全国各地での講演やモデルロケット教室を通じて、人の可能性を奪う言葉である「どうせ無理」を無くし、夢を諦めない事の大切さを伝える活動を展開。また、2010年より「より良くを求める社会」の実現に向けて、北海道赤平市にて「住宅に関するコスト1/10、食に関するコストを1 /2、教育に関するコストゼロ」の実験を行う「ARCプロジェクト」を開始。

-植松 努 先生

■イントロダクション

昨年に続いて呼んでいただき、先輩につづいて皆さんにお会いできて本当に嬉しいです。あまりの嬉しさに、内容もかなり盛り込んでしまいました。少し早口になるかもしれませんが、聞いてください。

どこの講演でも言うことですが、僕は仲間を探すためにこういう活動をしていますし、今日もそのために来ました。これから社会に出る皆さんと、同じ目的で活動できる仲間になれたらいいなと思います。

「想うは招く」とタイトルにあります。これは小さい頃に祖母が教えてくれた言葉です。

■いまの日本と「夢」

これから、日本は人口が急激に減少する時代を初めて迎えます。もちろん多くの企業が売り上げを伸ばせませんし、給与のベースアップなんて望めなくなります。ほぼ全ての産業が衰退すると、予測されているのです。


「こんな時代だからこそ夢を持て」と言われますが、子供の頃に「自分の夢」という作文を書きなさいと先生が言うので、「潜水艦を作って世界を巡る」という内容を書いたら、職員室に呼び出されました。夢みたいな事を書くなと叱られました。図鑑には昔の潜水艦が載っていて、昔の人ができたんだから自分にもできると思って、作文に書いたのに。(笑)友達は皆、大工やスポーツ選手、お医者さん等と書いていましたが、夢って仕事なのでしょうか?そういう夢しか見てはいけないのでしょうか?今できないことを追いかけることが、夢だと僕は思います。


こんな日本の労働生産性は、世界の国から見て実は低いのです。GDP/労働時間という指標では、なんとフランスの半分程度です。でも、見方を変えれば改善できるということです。そのためには、日本人一人ひとりの能力を向上する必要があります。

■北海道の田舎でロケット開発

僕は、北海道の赤平という田舎でロケットを作っています。ロケットなんて、その辺で売ってませんから、お金持ちでも買えません。だから僕の会社には、多くの仕事が入ってきます。

ロケットが飛ぶと、単純に嬉しいです。でも失敗するとマスコミなどに叩かれたり、他の人の頑張りが一瞬でパーになります。プレッシャーとの戦いは辛いですが、成功すれば最終的に仲間に感謝することができます。


僕はもともと一人が大好きで、自分だけで何でもやってきましたが、一人では限界があり周囲に頼りました。でも、最初は爆発(失敗)ばかりでした。ロケットなんて作った事なかったし、誰も教えてくれないからです。そんな中で感じた事は、責任の大切さです。責任(一人ひとりがきちんと自分の仕事をすること)の向こう側に本当の仲間が見えてきます。本に書いてあるのは過去の努力の結晶が表現されたものです。現在、身の回りにあるものは、それらの集大成です。ただし、知ってるだけだと、それは雑学としか言いません。人生はクイズではありません。昔の人の成功を味わうだけでなく、自分で考えて試したら、自分の個性が身に付いてその能力が必要とされるようになります。


最初に何かを実現しようとすると、そのプロセスにおいて「変だ」「見たことがない」と言われますが、素晴らしい結果が出ると絶大な評価に変わります。失敗する事に負けてはいけません。そんな時は、「どうすればいいか」を考えるのです。どれだけ準備を重ねても、失敗する時は失敗します。人の失敗、自分の失敗に罰を与えてはいけません。「なぜ失敗したか」「次にどうするか」と口に出して次に進めばいいのです。僕は、そういうことの繰り返しの中で仲間を頼った時に、信頼が生まれて今の状況に至っています。


今では、僕の会社でロケット・衛星・無重力実験施設まで実現してしまいました。無重力実験装置は、世界に3ヵ所しかなく、国内では僕の会社だけです。嬉しい事に、たくさんの方が見学に来てくれますし、修学旅行のコースにもなっています。訪れる見学者は年間1万人にものぼります。


実は、世の中で作られている「宇宙に飛び立つロケット」には、意外と古い技術や部品が使われています。なぜならば、失敗できないから新しいものにチャレンジできないのです。その一方で、機械工学や電気・電子工学は飛躍的に発達し、今や衛星に使われる角度センサはNINTENDOのWiiのリモコンに使われているもので実現できてしまいます。(笑)皆さんは、とてもいい時代に生まれたのです。

■少年時代

僕の祖母は樺太育ちでしたが、祖母が「お金は一晩で価値が変わる。貯金なんかせずに、本を買いなさい。」と言っていました。僕は、そんな祖母の教えもあって、よく本を読む子供で、ある日、本屋さんで紙飛行機の本と出会いました。僕は夢中になって紙飛行機作りに取り組みました。僕は視力に難があり、遠近感が弱い子供でした。だから、特にボールを使ったスポーツがとても苦手でよく馬鹿にされていましたが、僕の作った紙飛行機は、とてもよく飛びました。体育館の隅から隅まで飛んだのです。友達からとても褒められましたし、とても嬉しくて、本に書いてある設計は全て覚えました。技術書ですから、子供向けではありません。でも、好きだから覚えてしまうんです。ただし、ついに学校のテストには出ませんでしたから、成績はあがりませんでした。(笑)

小学校のとき、プラモデルが流行しましたが、職人だった父は「プラモデルなんて簡単すぎて駄目だ。男だったら、鉄で作れ!」と、強制的に電気溶接とガス切断まで覚えさせられました。(笑)困りました。困った時には、本屋に行くんです。そして、ペーパークラフトの本と出会いました。紙で作れる、立体的な飛行機の設計が載っていました。僕は、これを金属で作ればホンモノの飛行機になると思いました。


近所には、父と同じくもの作りの職人さんたちがたくさんいました。「お前は筋がいい」と褒めてくれて、使わなくなった図面や部品をくれるのです。そして、「世の中にあるものは、全て普通の人が試行錯誤して作ったものだ。世の中にないなら、作ればいいんだよ。」と教えてくれたのです。


僕は、ちょっと変わった子供でした。集団行動ができない、落ち着きがないなどと通信簿からの評価は厳しかったですが、近所のおっちゃん達のおかげで、ますます飛行機のことを勉強するようになりました。中学校に進学したとき、スペースシャトルが飛びました。機動戦士ガンダムがTVで放送されました。さらに、スペースシャトルに日本人(毛利さん)が搭乗するまでになりました。嬉しかったです。本をたくさん買って勉強しました。毛利さんは、僕と同じ北海道の田舎の人でした。


でも、学校の先生からは「そんなこと覚えてどうする」と言われ、また勉強すればする程、友達との会話も噛み合わなくなりました。「飛行機やロケットの仕事がしたい」と言っても、「東大に行かなきゃ無理だ」「現実を見ろ」と否定されたのです。だから、現実についてたくさん考えました。すると、現実というのは今まで生きてきた過去のことであって、成績が悪いという事実は変えられないことに気づきました。今の世の中には、それで未来を諦めさせる風潮が蔓延しています。そう思ってしまうと、人は今出来る事しか出来なくなります。おかげで、スペースシャトルは二度と飛べなくなりました。アメリカでスペースシャトルを作ってみたい、と思う人がいなくなったのです。これから、世界はロシアのロケットに頼るしかなくなっているのです。

■日本を支配してきた価値観と今後

日本は戦後、焼け野原から復興するために、誰かが生み出した「1」を、「10」にも「100」にもコピーして普及する必要がありました。そこでビジネスを支配した大企業は一流と評価されるようになり、入社を希望する人が多数となり、選考する手段として学歴や偏差値で足切りをするようになりました。その途端、大学は企業に入るための手段となり学問や研究がおろそかになりました。高校は大学に入るための手段となり、受験がビジネスとなり、お金で人生に差がつくようになってしまいました。これは、きっと正しい事ではありません。大量生産は大事なことですが、知恵と工夫で「高価で少量の販売」でもビジネスは成り立ちます。それがブランドというものです。


生産、運転、配達・・・今では機械やロボットが多くの作業を担っています。では、労働者としてロボットに負けないようになるには、どうすればいいと思いますか?それは、「考える人」になることです。アップル、ダイソン、アマゾン等の企業は、考えに考え抜いた末に、今までにない「ヘンな」ものやサービスを生み出して、評価を受けました。これから世の中に必要とされるのは、今までにやったことのないことをやりたがる人、あきらめない人、工夫する人です。では、そんな人達がどこにいるか。ここです。皆さんの事です。


何か新しいことに取り組むとき、経験のない人ほどあきらめ方を考えてしまいます。でも、生まれた時からあきらめ方を知っている人なんていません。では、人はあきらめ方をどこで知るかというと、矛盾するようですが、教育の現場で知るのです。それは、教える側が自分の都合のいいように育てたいからです。そうすると楽だからです。


だから自分のやりたいことが見つかったら、そのことに経験のある人と仲良くなるしかありません。そういう人が、支えてくれます。支えてくれる人に出会うまで、自分のやりたいことを周囲に話し続ければいいのです。


本は、やりたいことの実現に味方をしてくれます。飛行機を勉強するために、僕は本を通じてライト兄弟とだって仲良くなれました。東大に行く事より、ライト兄弟のようになることのほうが偉大ですし、ライト兄弟は東大には行ってません。どんどん勉強して、好きな事を人よりたくさん勉強して、フライングすればいいです。ロボット産業は、鉄腕アトムが好きな人たちが頑張ったから発展したのです。その分野を好きな人が集まって、ひたすら頑張るという意味では、皆さんのいる専門学校は、フライングするには絶好の環境だと思います。

■社会人としてのスタートから北海道に戻るまで

僕は飛行機が大好きでしたから、名古屋にある企業に就職して、飛行機やリニアモーターカーのデザインの仕事ができるようになりました。でも、5年半で退職しました。その企業に、飛行機が好きじゃない人、楽をしてお金をもらいたい人が集まってきたからです。「できないふりをしろ」と言われましたが、僕はそれがいやで、頑張って仕事をしたら嫌われました。人は、楽をしたら無能になります。僕が退職した後、その部署はなくなってしまいました。


名古屋の企業を退職して地元に戻りました。仕事がない中で父の仕事(クルマの部品修理)を手伝いましたが、クルマが壊れにくくなり、壊れたら買い替える時代になり、仕事がなくなりました。仕方なく、2000年からリサイクル用マグネットを作る仕事をしました。特殊な事ではありません。金属に電線を巻き付けて電流を流すと、電磁石ができるという、誰もが理科で習ったことです。しかし、他のマグネットよりも強力なものを作ることで、仕事になりました。会社も作る事が出来ました。発明のコツは、嫌な事や不便なことに我慢をせず、「どうしたら人の役に立つようになるか」を突き詰めることです。ただし、「ムリぃ!とか、うぜー」なんて言ってるのは、不快感を表してるだけで、何も解決しません。くれぐれも、「どうすれば良くなるか」を考えてください。


さて、しばらくすると僕が作ったマグネットが壊れたという連絡も入るようになります。そこで、壊れたマグネットを分解して、徹底的に分析しました。そうすることで、どんどん壊れにくい商品になりました。だから、「なるべく売らない」ようにしました。つまり、値切る人に売らないようにしたのです。壊れにくい商品を、安売りせずに売ることによって、無駄な労力を節約して利益率が確保でき、従業員の「時間」が確保でき、研究開発ができるようになったのです。そのうち某財閥系の大企業と取引ができ、「会社を作りなさい」と言われて困りました。会社なんて作ったことないからです。だから、本屋に行きました。「誰でもできる会社の作り方」という本に出会って、会社を作ることができました。(笑)

■出合いと未来の可能性

話をロケットに戻します。研究開発のなかで北海道大学の中田教授と出会いました。教授は、安全なロケットを研究していた方で、この出会いは僕にとって運命だと思いました。ロケットが危険なのは、液体の燃料を使っているからです。燃料が漏れて、爆発炎上につながりやすいのです。我々は、固体でロケット燃料を研究して実現しました。これも、実現してみれば特別な事ではありません。ポリエチレンというスーパーのレジ袋を作っているものを燃料に応用したのです。僕は、この安全なロケットを使って、宇宙空間に漂っているゴミ(スペースデブリ)の回収を仕事として実現したいです。そして、これを日本にしかできないビジネスとして成立させたいと思っています。


すべての人は完璧ではありません。でも、足りないからこそ助け合えるのです。だから、足りないことをバカにしてはいけません。すべての人は一人しかいなくて、みんな違います。吉田松陰も、スティーブ・ジョブズも、イチローも世の中に同じ人はいないのです。これらに共通しているのは、好きな事で頑張った人たちです。皆さん、今から好きなことをたくさん持って、それを突き詰めてください。


人を殺してはいけないのは、人の命を奪うことで未来の可能性を奪うからです。しかし、「どうせ、無理」という「言葉」で奪うことは、日常的に行われています。これは、殺人に等しいとさえ、僕は思います。僕は、「どうせ、無理」を世の中からなくしたいです。北海道の会社にだって、ロケットが作れました。無理じゃないと思わせたかったというのが原動力でした。

■おわりに

先ほど言った通り、たくさんの人が会社を見学に来てくれるので、簡単なロケット作りをしてもらいます。でも、具体的な作り方は、教えません。調べ方を教えるだけです。困ったら「こうしてみたら?」とアドバイスをします。皆さんも、「どうせ、無理」と言わず「だったら、こうしてみたら?」と言える人になってください。そして、やったことがないことをやると、自信がつきます。

夢がない・見つけられないという話をよく聞きます。夢をみつけるには、感動すればいいのです。感動は、CAN DOにつながります。NASAの門には Dream can do, Reality can do.と書かれています。思い描くことができれば、それは実現できるという意味です。


改めて伝えておきますが、夢と仕事は別物です。夢というのは、自分の大好きなことや実現したいことです。僕の場合は潜水艦から始まって、飛行機やロケットを作ることでした。一方、仕事は人の役に立つことです。両者は別物ですが、この2つが一緒になることは現実としてあり得ます。大好きなことを突き詰めたとき、それが人に役に立って仕事になることは、あり得るのです。


「思うは招く」という母の教えに従って頑張ってきました。そしたら、飛行機やロケットと出会い、仕事にすることができて、NASAで同じ言葉に出会いました。皆さん、「どうせ、無理」を捨てて「だったら、こうしてみたら?」と言うことで、みんなの夢が叶います。それができれば、皆さんには、素晴らしい未来が待っています。頑張って下さい。僕も頑張ります。そしていつか、仲間として活動できると嬉しいです。ありがとうございました。

■編集後記

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昨年に続いて登場の植松先生。今やJAXAやNASAが頼る存在として宇宙開発に必要不可欠な存在になっている。今の植松電機の状況を見て、「夢みたいなこと言うな」と言える人は、世の中に存在しないだろう。

我々がこの講演を通して再認識すべきなのは、「現在の植松電機の原点は、飛行機が好きと想っていた少年の気持ち」ということだ。


ジャーナリストの筑紫哲也氏がキャスターをつとめた夜のニュース番組「NEWS23」で、エンディング曲として使われた中島みゆきの曲「最後の女神」でも、ロケットが飛ぶ。




 一番最後に見た夢だけを

 人は覚えているのだろう

 幼い日に見た夢を思い出してみないか


 あぁあれは壊れたオモチャ

 いつもいつも好きだったのに

 僕には直せなかった 夢の中で今も泣いてる

 言葉にならないSOSの波

 受け止めてくれる人がいるだろうか

 あぁあれは最後の女神

 紛れもなく君を待ってる

 あぁたとえ最後のロケットが

 君を残し地球を捨てても



幼い頃の夢を忘れてしまうほど、我々の周りには現実が降り注ぐ。日々のテレビ番組は、人の関心を引くために現実をニュースとして流す。

学生諸君は、そんな現実社会に間もなく出ていくことになるが、純粋な夢を見失わずに実現するための努力をする人であってほしい。夢の実現のために真剣になっていると、それを理解し支えとなる人が必ず現れる。最後の女神は、必ずいる。

NSGカレッジリーグの専門学校の教員職員は、君たちの夢の実現に寄り添いたいと思っているし、「志・未来塾」を、夢を実現する仲間との出会う機会として利用してほしい。

さて。君の大好きなこと、幼い頃の夢は、何ですか。