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NSGカレッジリーグ 第四期 志・未来塾 第2回 期日:平成28年4月19日(火)

第二回テーマ:「思うは招く~夢があればなんでもできる~」 

講師:株式会社植松電機 専務取締役

株式会社カムイスペースワークス 代表取締役

NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC) 理事 

植松 努 先生


■講師プロフィール

1966(昭和41)年北海道芦別市生まれ。

1989 年、北見工業大学卒業後、菱友計算(株)航空宇宙統括部に入社。1994 年同社を退社し植松電機入社。

1999 年に植松電機を株式会社に改組し専務取締役に就任。

2006 年、株式会社カムイスペースワークス(略称:CSW)を設立し、代表取締役に就任。

全国各地での講演やモデルロケット教室を通じて、人の可能性を奪う言葉である「どうせ無理」を無くし、夢を諦めない事の大切さを伝える活動を展開。また、2010 年より「より良くを求める社会」の実現に向けて、北海道赤平市にて「住宅に関するコスト1/10、食に関するコストを1/2、教育に

関するコストゼロ」の実験を行う「ARC プロジェクト」を開始。

-植松 努 氏

■イントロダクション

 今年もこの「志・未来塾」に出ることができました。緊張していますが、僕が今している仕事は、過去に様々な困難に挑んできた人達と本を通して縁ができたことで成り立っています。また、今現在も困難に挑もうとしている人たちがいて、その人たちと「夢」で繋がったからでもあります。

 僕が講演をして全国を飛び回るのは、仲間を探すためですし、今日もそうです。これから社会に出る皆さんと、同じ目的で活動できる仲間になれたらいいなと思います。

■いまの日本と「夢」

 戦争が終わってからの日本では、急激に科学技術が発達して、一世代前の人の言うこと・思うことが若者に通じない状態にさえなっていますが、一方で人口が急激に減少する時代を迎えます。多くの企業が売り上げを伸ばせず、給与が自然に上がることなんて望めなくなります。ほぼ全ての産業が、衰退すると予測されているのです。

 「こんな時代だからこそ夢を持て」と言われます。小学生の頃に「自分の夢」という作文を書けと言われて、「潜水艦を作る」という内容を書いたら、職員室に呼び出されました。夢みたいな事を書くなと叱られました。(笑)友達は皆、大工やスポーツ選手、お医者さん等と書いていましたが、夢って仕事なのでしょうか?僕は、「今、自分に出来ていないことを追いかける」ことが、本当の夢だと思います。

 中学校に進むと、今度は「いい会社に入って楽をするために勉強しろ」と言われるようになりました。でも僕は、何かが違うと思いました。楽をすることと、楽しいことは全く逆だと気付いたのです。自分が楽しいと思うことは、より良い結果を得ようとしてやるから苦しくてもやれるし、いろんな経験が出来て自分の能力がアップします。でも、楽をすると人間は無能になるんです。

 皆さんが性能のいいクルマを買うことができるのは、お金があるからじゃなくて、作る人がより良いクルマを作る努力をするからです。人は、夢が叶わないことをお金のせいにしたがります。でも、お金が必要だと思うのは、それを提供するサービスを買おうとしてるだけで、自分が夢を叶えるのとは全く別の話です。

 こんな日本の労働生産性は、世界の国から見て実は低いのです。GDPを労働時間で割った指標では、フランスの半分程度です。でも、見方を変えれば改善できるということです。そのためには、一人ひとりの生産性を上げればいいんです。

■北海道の田舎でロケット開発

北海道の赤平という田舎にある僕の会社では、宇宙に飛び立つロケットを作っています。ロケットなんて、その辺で売ってませんから、お金持ちでも買えません。だから僕の会社には、多くの仕事が入ってきます。

 ロケットが飛ぶと、涙が出るほど嬉しいです。でも失敗するとマスコミなどに叩かれたり、他の人の頑張りが一瞬でパーになります。プレッシャーとの戦いは辛いですが、成功すれば最終的に仲間に感謝することができます。

 僕は子供の頃に「ちゃんとしなさい」と言われて育ちました。これを、「人に頼らず自分だけで何でもやる」ことだと思い込み、一人ぼっちになりかけました。でも、一人では限界があり周囲に頼りました。最初は失敗ばかりでした。ロケットなんて作った事なかったし、誰も教えてくれないからです。そんな中で感じた事は、「責任」と「信じる」ということでした。責任(一人ひとりがきちんと自分の仕事をすること)の向こう側に本当の仲間(親友)が見えてきます。LINEで繋がれば友達というのは、ちょっと違うと思います。

 僕がロケットを作れるようになったのは、北海道大学の中田先生と出会ったからです。当時ロケットを作って飛ばすことは、危ないことだとみんなが思っていました。中田先生は、安全なロケットを作ればいいと考えていたそうです。でも、国の予算が付かなくて実現できず、自分が必要とされていないと感じていたそうです。

 一方、僕は溶接ができたので部品は作れます。足りない二人が、ロケットのために助け合えたんです。だから皆さん、自分の足りない部分をバカにしちゃダメです。人の足りない部分を恥ずかしいと責めてもいけません。それをオープンにするから、助け合える仲間と出会えるんです。それでも、最初は爆発ばかり、失敗の連続でした。

 最初に何かを実現しようとすると、そのプロセスにおいて「変だ」「見たことがない」と言われますが、素晴らしい結果が出ると絶大な評価に変わります。失敗に負けてはいけません。そんな時は、「どうすればいいか」を考えるのです。どれだけ準備を重ねても、失敗する時は失敗します。何故出来ないのかと責められたりしますが、この世の中には赤ちゃんからお年寄りまで様々な能力の人がいるのです。

 余談ですが、実は世の中で作られているロケットには、意外と古い技術や部品が使われています。なぜならば、大きな予算を使うために失敗が許されず、新しい技術にチャレンジできないのです。その一方で、機械工学や電気・電子工学は飛躍的に発達し、今や衛星に使われる角度センサはNINTENDOのWiiのリモコンに使われているもので実現できてしまいます。(笑)皆さんは、とてもいい時代に生まれたのです。


 人の失敗、自分の失敗に罰を与えてはいけません。「なんでだろう?」「次はどうしよう?」と口に出して次に進めばいいんです。僕は、そういうことの繰り返しの中で仲間を頼った時に、信頼が生まれて今の状況に至っています。

 今では、僕の会社でロケット・衛星・無重力実験施設まで実現してしまいました。無重力実験装置は、世界に3ヵ所しかなく、国内では僕の会社だけです。嬉しい事に、たくさんの方が見学に来てくれます。

■少年時代

 僕の祖母は樺太の生まれで、ソ連の侵攻などの経験から「お金は一晩で価値が変わる。貯金せずに、経験を生む本を買いなさい。」と言っていました。僕は、そんな祖母の教えもあって、よく本を読む子供で、ある日、本屋さんで紙飛行機の本と出会いました。僕は夢中になって取り組みました。僕は視力に難があり、遠近感が弱い子供でした。だから球技が苦手で、よく馬鹿にされていましたが、僕の作った紙飛行機はとてもよく飛びました。友達からとても褒められましたし、作り方を教えてと頼まれました。とても嬉しくて本に書いてある設計は全て覚えてしまいました。技術書ですから、結構な難しさですが、好きだから覚えてしまうんです。ただし、その内容は学校のテストには出ませんでしたから、成績はあがりませんでした。(笑)

 小学生の時にプラモデルが流行しましたが、職人だった父は「プラモデルなんて簡単すぎて駄目だ。男だったら、鉄で作れ!」と、強制的に電気溶接とガス切断まで覚えさせられました。(笑)困りました。困った時に、僕は本屋さんに行きます。そして、ペーパークラフトの本と出会いました。紙で作れる、立体的な飛行機の設計が載っていました。僕は、これを金属で作ればホンモノの飛行機になると思いました。

 僕の家の近所には、父と同じく職人さんたちがたくさんいました。「お前は筋がいい」と褒めてくれて、専門書を見せてくれたり部品をくれたりするのです。そして、「世の中にあるものは、全て普通の人が試行錯誤して作ったものだ。世の中にないなら、作ればいいんだよ。」と教えてくれたのです。

 僕は、ちょっと変わった子供でした。集団行動ができない、落ち着きがないなどと通信簿からの評価は厳しかったですが、近所のおっちゃん達のおかげで、ますます飛行機のことを勉強するようになりました。中学校に進学したとき、スペースシャトルが飛びました。機動戦士ガンダムがTVで放送されました。さらに、スペースシャトルに日本人(毛利さん)が搭乗するまでになりました。嬉しかったです。本をたくさん買って勉強しました。毛利さんは、僕と同じ北海道の田舎の人でした。


 でも、学校の先生からは「そんなこと覚えてどうする」と言われ、また勉強すればする程、友達との会話も噛み合わなくなりました。「飛行機やロケットの仕事がしたい」と言っても、「東大に行かなきゃ無理だ」「現実を見ろ」と否定されたのです。だから、現実についてたくさん考えました。すると、現実というのは今まで生きてきた過去のことであって、成績が悪いという事実は変えられないことに気づきました。

 ただ、よくよく考えてみれば「どうせ無理」と言った先生は飛行機を作ったことのない人でした。できない理由は、人を頑張れなくしてしまいます。そして、今できていることしかできなくなるのです。今、そういう人が増えているそうです。こんな人は、世の中を引っ張っていく人たちの作るロボットに負けてしまいます。

■日本を支配してきた価値観と今後

 さて、皆さん。我々は地デジという技術の元になぜブラウン管のテレビを捨てたのでしょう。なぜ消費期限と別に賞味期限があるのでしょう。私たちは無意識のうちに消費することを強制されているのです。

 日本は戦後、焼け野原から復興するために、誰かが生み出した「1」を、「10」にも「100」にもコピーして普及する必要がありました。そこでビジネスを支配した大企業は一流と評価されるようになり、入社を希望する人が多数となり、選考する手段として学歴や偏差値で足切りをするようになりました。その途端、大学は企業に入るための手段となり学問や研究がおろそかになりました。高校は大学に入るための手段となり、受験がビジネスとなり、お金で人生に差がつくようになってしまいました。でも、フィンランドの大学進学率は、日本の1/10程度しかありません。

 大量生産は大事なことですが、知恵と工夫で「高価で少量の販売」でもビジネスは成り立ちます。それがブランドというものです。

 生産、運転、配達・・・今では機械やロボットが多くの作業を担っています。では、労働者としてロボットに負けないようになるには、どうすればいいと思いますか?それは、「考える人」になることです。アップル、ダイソン、アマゾン等の企業は、考えに考え抜いた末に、今までにない「ヘンな」ものやサービスを生み出して、評価を受けました。これから世の中に必要とされるのは、今までにやったことのないことをやりたがる人、あきらめない人、工夫する人です。では、そんな人達がどこにいるか。ここです。皆さんの事です。

 何か新しいことに取り組むとき、経験のない人ほどあきらめ方を考えてしまいます。でも、生まれた時からあきらめ方を知っている人なんていません。では、人はあきらめ方をどこで知るかというと、矛盾するようですが、教育の現場で知るのです。それは、教える側が自分の都合のいいように育てたいからです。

 だから自分のやりたいことが見つかったら、そのことに経験のある人と仲良くなるしかありません。そういう人が、支えてくれます。支えてくれる人に出会うまで、自分のやりたいことを周囲に話し続ければいいのです。

 本は、やりたいことの実現に味方をしてくれます。飛行機を勉強するために、僕は本を通じてライト兄弟とだって仲良くなれました。東大に行く事より、ライト兄弟のようになることのほうが偉大ですし、ライト兄弟は東大には行ってません。どんどん勉強して、好きな事を人よりたくさん勉強して、フライングすればいいです。ロボット産業は、鉄腕アトムが好きな人たちが頑張ったから発展したのです。その分野を好きな人が集まって、ひたすら頑張るという意味では、皆さんのいる専門学校は、フライングするには絶好の環境だと思います。

■社会人としてのスタートから北海道に戻るまで

 僕は飛行機が大好きでしたから、名古屋にある企業に就職して、飛行機やリニアモーターカーのデザインの仕事ができるようになりました。でも、5年半で退職しました。その企業に、飛行機が好きじゃない人、楽をしてお金をもらいたい人が集まってきたからです。「できないふりをしろ」と言われるのがいやで、頑張って仕事をしたら嫌われました。人は、楽をしたら無能になります。僕が退職した後、その部署はなくなってしまいました。

 退職して地元に戻り、父の仕事(クルマの部品修理)を手伝いましたが、自動車は壊れたら買い替える時代になり、仕事がなくなりました。仕方なく、リサイクル用マグネットを作る仕事をしました。特殊な事ではなく、誰もが理科で習った技術です。しかし、他よりも強力なものを作ることで、仕事になりました。会社も作る事が出来ました。発明のコツは、嫌な事や不便なことに我慢をせず、「どうしたら人の役に立つようになるか」を突き詰めることです。ただし、「ムリぃ!とか、うぜー」なんて言ってるのは、不快感を表してるだけで、何も解決しません。「どうすれば良くなるか」を考えてください。

■出合いと未来の可能性

 すべての人は完璧ではありません。でも、足りないからこそ助け合えるのです。だから、足りないことをバカにしてはいけません。すべての人は一人しかいなくて、みんな違います。吉田松陰も、スティーブ・ジョブズも、イチローも世の中に同じ人はいないのです。これらに共通しているのは、好きな事で頑張った人たちです。そして、歴史を変えるのも、いつだって一人の人間です。皆さん、今から好きなことをたくさん持って、それを突き詰めてください。

 僕は、「どうせ、無理」を世の中からなくしたいです。北海道の会社にだって、ロケットが作れました。無理じゃないと思わせたかったというのが原動力でした。

■おわりに

 先ほど言った通り、たくさんの人が会社を見学に来てくれるので、簡単なロケット作りをしてもらいます。でも、具体的な作り方は、教えません。調べ方を教えるだけです。困ったら「こうしてみたら?」とアドバイスをします。皆さんも、「どうせ、無理」と言わず「だったら、こうしてみたら?」と言える人になってください。そして、やったことがないことをやると、自信がつきます。

 夢がない、見つけられないという話をよく聞きます。夢を見つけるには、感動すればいいのです。感動は、Can Doにつながります。(ダジャレです。笑)

 後日知ったことですが、アメリカのNASAに入る門のところに Dream can do, Reality can do.と書かれています。思い描くことができれば、それは実現できるという意味です。

 夢と仕事は別物です。夢とは、自分の好きなことや実現したいことです。僕の場合は潜水艦から始まって、飛行機やロケットを作ることでした。一方、仕事は人の役に立つことです。両者は別物ですが、この二つが一緒になることは、あり得るのです。

 僕は「思うは招く」という祖母の教えに従って頑張ってきました。そしたら、飛行機やロケットと出会い、仕事にすることができて、NASAで同じ言葉に出会いました。皆さん、「どうせ、無理」を捨てて「だったら、こうしてみたら?」と言うことで、みんなの夢が叶います。それができれば、皆さんには、素晴らしい未来が待っています。頑張って下さい。僕も頑張ります。そしていつか、仲間として活動できると嬉しいです。ありがとうございました。

■編集後記

植松先生の登場も、既に3回目。今や宇宙開発での活躍以外にも、TEDを始め全国各地での講演もかなり増えているようだ。

子供の頃のことを改めて思い出すと、植松先生のような友達がクラスの中に必ず一人くらいいたはずだ。もしかしたら、君自身がそうであったかもしれない。それが大人になった時、NASAから頼られる存在になったか、ならないか・・・それを分けたのは好きなことに打ち込むピュアな心と、失敗しても諦めなかった行動力、そして何よりも、おばあさんを始めとする少年を育てた周囲の大人達との関係であろう。


中島みゆきが加藤登紀子に提供した楽曲「この空を飛べたら」でこう書いている。


 あぁ人は昔々 鳥だったのかもしれないね

 こんなにも こんなにも

 空が恋しい


人が速く走りたいと思わなければ、自動車は生まれなかった。空を飛びたいと思わなければ、飛行機は生まれなかった。

我々は大人になればなるほど、ピュアな心を「どうせ無理」という自己暗示の元に忘れてしまいがちな生き物だ。そして怖いことに、この言葉は周囲に伝染する。

そんな諦めをなくしてしまおうというのが、今夜の植松先生のメッセージであったろう。そして、それはそっくりそのまま、志・未来塾のメッセージでもある。

学生諸君、無理なんかじゃない。

その夢、一緒に考えようじゃないか。