NSGカレッジリーグ
第5回 志・未来塾 取材後記

期日:平成28年9月13日(火)

講師:白駒 妃登美
“博多の歴女”

テーマ:「志高き、日本人の物語 ~日本の歴史は「志」のリレー~」

講師プロフィール

講師:白駒 妃登美 福岡市在住。幼い頃より伝記や歴史の本を読み、その登場人物を友だちのように感じながら育った。福沢諭吉に憧れて慶応義塾大学に進学。卒業後、大手航空会社に入社し、国際線に約7年間乗務。その後、大病をわずらい、命と向き合うなかで、先人たちの生きざまを振り返り、『未来の自分に必要なことが、いま起こっている』という思いに至り、『今を受け入れ、最善を尽くし、平然と生ききる』覚悟を定める。生き方を変えたことで病状が奇跡的に快復した経験から、命を紡ぐことの大切さを実感し、先人たちの「志」や、そこに生きた人々の「思い」に触れる歴史の講演を始める。その講演が「日本人に生まれてよかった」、「こんな歴史の先生に出会いたかった」と涙する参加者が続出するほど好評を博し、講演やテレビ・ラジオ出演は、年間200回に及ぶ。

講演要旨・取材後記


イントロダクション

 皆さん、こんばんは。先ほど、会場に入るときに頂いた溢れんばかりの拍手、本当に感動しています。

 さて、タイトルに「歴史」という言葉がありますが、私は歴史を専門に学んだわけではなく、単なる歴史好きだったんです。あるご縁で作家のひすいこたろうさんにすすめられて、ブログに歴史のことを書くようになりました。それが出版社の方の目に留まって…というと順調な人生に聞こえますが、その時私は人生最大のピンチを迎えていました。その一年ほど前に子宮頸がんと診断され、手術と放射線治療を受けて退院はできたものの、その後に肺への転移が見つかりました。その状態は、死という現実さえ見えるものでした。出版のお話を頂いたのは、まさにこの最大のピンチの時でしたので、残された時間をすべて子供のために使うためにも、お断りするつもりでした。

 ところが、その時に正岡子規の生き様に救われたんです。
 武士の子として生まれた子規は、幼い頃から「武士道における覚悟とは、いつでも平気で死ねることだ」と、結論づけていたようです。ところがその後、若くして大病を患います。これは激痛を伴うもので、何度も自殺を覚悟したといいます。その苦しみの病床の中で子規は「本当の武士道における覚悟とは、痛くても苦しくても生かされている。今という一瞬を平然と生きることだ。」と悟ったんだそうです。

 ですから私も、「今この瞬間は生かされてるから、この瞬間にできる限りの事をしよう。」という想いに至りました。すると不思議なことが起きたんです。病への悲しみ、死への恐怖や不安で毎晩泣いて、ろくに眠れなかったのが、ぐっすり眠れるようになったんですよ! そしてさらに、精密検査を受けて驚きました。消えたのは悩みだけじゃなく、がん細胞が全部消えていたんです!
 それで…私はいまもこうして生かされていて、新潟で皆さんの前に立っています。

 今日もここに何十人もの人が集まっていますが、人がいれば、その一人ひとりの人生が歴史と言えます。

夢と志

 ところで皆さんは、専門学校に通ってるわけですが、夢は持っていますか?夢というのは「自分がこうなりたい!」というものですよね。ところが、自分が消えてしまえば、叶っても叶わなくてもその夢は無くなってしまいます。
 一方、「志」は自分が消えてしまっても、想いが受け継がれるんです。その繰り返しが、「日本という国」を作ってきたんです。今日は、私が人生のなかで気づいた「日本という国」と「日本人であること」について、それから、志が受け継がれることで歴史がつながっていくというお話をしようと思います。

第一の転機

 私は、東京オリンピックの年に生まれました。
 私たちの親は、戦後の焼け野原から日本を奇跡的に復活させ、その象徴がオリンピックでした。しかし復興の一方で、それまで日本で培われてきた日本の文化は忘れられ、戦勝国の価値観として欧米の文化が入り、多くの人が欧米に憧れました。だから、私も海外に行こうと思ったのです。

 大学時代、アルバイトでお金を貯めた私は、オーストラリアに40日間の旅を実現しました。といっても、お金に余裕はないので、滞在の大部分はホームステイをしました。その時のホストファミリーのお母さんが、たまたま日本にすごく関心を持つ人だったんです。お茶の作法や源氏物語について、オーストラリアに行って現地の人から聞かれるんですよ!(私はラッキーなことにお茶を習っていたことがあり、古文に強い関心を持った時期があったので、なんとかお母さんの質問に答えることができました。)

 そのお母さんがこう言うんです。
「オーストラリアの歴史は浅いけど、日本は2千年もの歴史があるんでしょ?」
 私は愕然としました。お茶や源氏物語を知っていても、日本がそんなに歴史のある国だと、はっきり理解していなかったんです。

 日本の国家としての歴史は世界で一番古くて、2,676年と言われています。(神武天皇の即位が起源となっていて、2月11日は神武天皇が即位された日としての建国記念の日です。)ちなみに世界で第2位はデンマークの1,100年で、3位がイギリスの900年。
 神武天皇とは神話に登場する人物ですが、その子孫が今の天皇陛下です。日本は世界でただ一つ、神話と現実が一本につながっているという、素晴らしい歴史観を持つ国なんですよ。ちなみに、「日本」という国の名前は太陽が生命の源である、私たちは生かされているという価値観に由来しています。この太陽(=日)がもと(=本)であることから日本という国名が生まれ、太陽・自然・先祖を大切にすることから、「三恩三恵」と表現される日本人が古来から大切にしてきた価値観が育まれたのです。

 よく、「自信がない」という言葉を耳にしますが、「今、生かされている」ことを念頭に置けば、「自分が今ここにいられるのは多くの人のおかげ」であることが理解できます。そう考えると、自信なんてとても小さなものです。ダジャレみたいになりますけど、自分のスイッチを「オン」するのは、「恩」を感じて報いたいという気持ちなのです。

 日本の国歌は、「君が代」です。これは最も古い国家としてギネスブックにも掲載されていますが、平安時代の古今和歌集に載っているものです。

 我が君は 千代に八千代に 
 さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで

 詠み人知らずですが、女性が男性を想って詠んだものです。これを、男性も女性も共通で歌えるようにするために「我が君」を「君が代」として、国歌となりました。君が代は、目の前の人の長寿・健康・幸せを祈るものです。たとえばスポーツの場で斉唱されますが、天皇陛下が同席されていれば、天皇陛下もこれを歌われます。ということは、お互いに祈り合う歌なのです。

 21歳の時、欧米の文化に憧れてオーストラリアに渡った私は、英語でもなくグローバルスタンダードでもなく、まさに自国のことや歴史が問われることに気づいたのです。海外では、自国の歴史を学校でとても丁寧に教えます。日本は、それが足りていないような気がします。こういう歴史を知っていてこそ、海外の人からは「ちゃんとした日本人」だと見られるのです。皆さんも、これから世界に出ていくことでしょう。そのスタートは「ちゃんとした日本人」として自国の歴史を把握することです。

第二の転機

 私の人生における第二の転機は、航空会社に就職した時です。国際線であちこちの国を巡るうちに、どうも最初から信用される、親切にされることに気がついたんです。ある時、「どうして、初めての私をそんなに信用してくれるの?」と聞いたら、「あなたが日本人だから。」と答えてくれたのです。どうやらそれは、災害でも乱れないほどの秩序に代表される、道徳心の高さが一番にあるようです。

 日本に滞在経験のある、ヨーロッパの方が教えてくれたエピソードがあります。コートをクリーニングに出して、出来上がりを受け取りに行った時、コートと一緒に小銭を渡されたそうです。それは、ポケットに入れたままのお金だったようで、それが普通に手元に戻ってくることに驚いていました。さらに、お店の人が「気づかなくて申しわけありません」とまで言ってくれたそうです。ますます海外では有りえないのだそうです。

 また、ある東南アジアの方が言うには、日本の経済支援は井戸・学校・地下鉄の建設と多岐に渡っていて、技術も素晴らしいが、日本人の素晴らしい労働観に触れたのだそうです。欧米では、仕事は契約でお金に直結するイメージですが、日本人は、もちろん契約もするしお金も必要ですが、もっと根底に「人に喜ばれる、役に立つ」ことを大切にするのだそうです。

 日本人にとって一番の幸せは、誰かを蹴落とすようなことではなく、自分の存在や自分のしたことが人に喜んでもらえることなのだと思います。

 日本人の労働観で、もう一つ大切なお話をします。
 私は機内でコーヒーをお出しするとき、「たかが一杯」となるか「されど一杯」となるかは、出し方次第だと教えられました。ですから私は、キャビンアテンダントという仕事を通して、「接遇道」に携わっていると考えていました。日本人は、自分の生きる過程において「道」を求めてきました。武士道、茶道、柔道…台湾の李登輝総統は、「武士道も、侘び寂びも、すべて形のないもの。にもかかわらず日本人は共有できている。素晴らしい。」と評価されていました。共有できている証拠に、江戸時代において町にいた武士は全人口の約7%程度でしかなかったと判明しています。たったそれだけしかいないのに、ほとんどの人が武士道を(なんとなくでも)イメージできる。おそらく、農業にも商業にも、人々は「道」を見出しつつ仕事をしてきたでしょう。

 欧米のベースボールと、日本の「野球道」は別物です。野球道とは、グランドに敬意を表して礼をする、道具を大切に扱うなど、その仕事に対して真剣に向き合って、良き方向を探り続けることと言えるでしょう。そして「道」には、ゴールがありません。取り組んだそばから課題が見つかり、次にその課題に取り組みながら、次の課題を見出す。この繰り返しが、成長なのです。日本人は高みを目指して、常に成長を求める仕事の仕方をするのです。

志を伝えた吉田松陰

 先日、安倍総理大臣の奥様にお会いしたとき、ある人物とエピソードをお話したら、ぜひ今後多くの学生さんに紹介してほしいと言われました。それは、吉田松陰のお話です。

 江戸時代の末期、ペリーが黒船で来航した際に、松陰はどうしてもペリーに会いたくなりました。それは「この国の未来を考えたら、このままでは駄目であり、先進を学ぶべく貴国に行きたい。」と伝えるためでした。当時、幕府から外国人との接触が禁じられていましたから、普通では会えません。そこで、松陰は小舟をこっそりと黒船に近づけ乗船し、なんとかペリーの部下に意思を伝えるところまで実現しました。ペリーは部下から報告を受け、このことを「自分のことを顧みずに自国の未来を考える若者がいた」と日記に書いています。

 後日、松陰は自分のした「外国人との接触」という行為を正直に届け出て、野山獄と呼ばれる、二度と出られないとされる牢に入れられてしまいます。
 この牢で松陰がとった行動というのがすごくて、家族に本を差し入れてもらってひたすら読書に明け暮れたそうです。その読書量は1年と2ヶ月で約600冊ともいわれています。他の囚人たちはそんな松陰を笑いましたが、「もし牢から出られたときのことを考えて、牢の中でできる最高のことをしよう」という考えだったようです。

 もう一つ松陰の行動で注目すべき点があります。他の囚人たちの長所をことごとく見出して、自分の先生にしてしまったのです。書の先生、俳句の先生…次々に見出される長所に囚人たちも悪い気はせず、さらに自分だけではなく、他の囚人たちにも習うようにすすめたのです。それまでは、出られる見通しの立たない牢獄の空気が、教える・学ぶという前向きな行動でガラリと変わったと言われています。

 ここで教訓です。人は自分がどう扱われるかで心が変わってしまうのです。出所できる見通しすらついていない囚人が、牢の中とはいえ先生と呼ばれ、尊敬されることで、自分の存在が人に喜ばれることを知ったのです。また、人は自分が自分をどう扱うかによって、変わることができるのです。こうして、この牢獄は模範囚だらけになり、短い期間のうちに約半数もの囚人が牢から出されたといいます。

 さて、牢から出た松陰は、自宅で謹慎のような生活をせざるを得ませんでした。この場所を使い、自宅で孔子や孟子の教えを講義しているうちに、あまりの素晴らしさに涙する受講者も出て、それを聞きつけた近所からも受講者が集まるようになりました。こうしてできた松下村塾は、志の大切さ、リーダーシップ、生き方を教える塾でした。いわば雑草集団ですが、多くの偉人を輩出しました。
(ただし、みんながそうなれた訳ではありません。ある方の分析では、「感動する心の持ち方」ができる人しか、大成しなかったそうです。)

壁と扉

 これから、皆さんの人生には多くの喜びや悲しみが待っているでしょう。努力しても上手くいかない、そんな時こそ松陰が投獄された時のような絶体絶命のピンチを参考にして欲しいです。ピンチから、人生は開けるもののような気がします。壁にぶち当たった時は、一歩下がってみるといいです。そうすると、壁がドアに見え、かならず開くためのドアノブが見つかるのです。むしろ、壁こそが扉なのです!そう考えることができれば、ぶち当たった壁が大きければ大きいほど、大きな扉になるのですよ!

結び

 この数年、台湾とご縁を頂いています。台湾という国は、東日本大震災のときに200億円を超える寄附を寄せてくれた国です。これは全世界からの寄付の三分の一にもなります。国民一人あたりの収入から考えると、とんでもない負担であったろうと思いましたが、台湾の人々に聞くと、「日本への寄付金が世界一になったことが、今年一番のいいことだった。」と多くの人が答えていたりします。本当にありがたいです。また、台湾に行ってそんな感謝の気持ちを伝えると、逆に感謝されることも多いです。

 よく聞いてみると、日本統治前の台湾は、衛生面でも犯罪でも教育でも、非常にレベルの低い状態だったのだそうです。多くの欧米諸国が、武力で制圧した外国を植民地にして搾取していた時代に、日本は台湾に資金を入れて、まずは教育から行って国家の発展に尽くしてきたのです。こうした事情から、特に教育を中心に多くの人が統治に対して好意的でした。

 ちょっと極端な表現をしますが、西洋人の君主は、不老不死を求めます。つまり、永遠に自分がトップであることを願うのです。これに対して日本は、前半でお話ししたように「生かされている」という価値観からなのか、肉体は滅びることを前提に、自分の想いを受け継いでもらえる生き方をします。ですから、日本の歴史は志を受け継いだ歴史とも言えます。

 私たちは、命を頂いてここにいます。そして日本人ですから、誰かが大切にしている想いに共感して、その志を受け継いで、次の世代にバトンをつなぐ責任があるのだと思います。気構える必要はないと思います。だって、それが日本人のDNAに組み込まれているのですから。

 最後に、今日ここに集まった志・未来塾の皆さんの健康と幸せを祈っています。ありがとうございました。

編集後記

 近年、海外から見た日本の文化が注目を集めている。一方で私たちは、歴史をここまで熱い視点で勉強したことがあるだろうか。筆者には、残念ながらそんな経験がなかった。改めて国も、人も、昔から繋がっているのだと考えさせられた。

 中島みゆきの「命のリレー」という曲がある。今回の講演を聴きながら、まさにこの曲そのままだなと感じた。

  僕の命を 僕は見えない
  いつのまに走り始め いつまでを走るのだろう
  星も礫(こいし)も 人も木の葉も
  ひとつだけ運んで行く 次のスタートへ繋ぐ
  この一生だけでは辿り着けないとしても
  命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ

 学生諸君、私たちは日本に生きている。いや、生かされている。君たちが受け取るべきバトンは、どのバトンだろう。それを、次のスタートにつなげるのだ!そのために、今の自分にできる最高の走りをしようではないか。

 なんだか、過去を学んで過去や未来の呪縛から解き放たれる、身も心も軽くなるような気がした夜であった。

講演中の様子