NSGカレッジリーグ 第2回志・未来塾

「精神筋力を鍛える」

講師:白石 康次郎

講師プロフィール

1967年 東京生まれ鎌倉育ち。神奈川県立三崎水産高等学校を卒業し、1994年に史上最年少ヨット単独無寄港世界一周を達成。2000年のキャメルトロフィーに日本代表のメンバーとして参加。2006年単独世界一周ヨットレース「5OCEANS」クラスIに日本人初挑戦し、2007年4月30日に総合2位の成績でゴールする。著書やテレビにも登場することも多い。2008年4月10日、ヨットでの太平洋横断最速記録を更新した。


現在、ヨットレースのほかに文部科学省子ども居場所事業キャンペーンメンバーや横浜市教育改革会議委員を務めながら、全国での講演活動や、親子を対象とした『リビエラ海洋塾』など、教育活動にも精力的に取り組んでいる。

■ヨットで海を進むということ

僕は、ヨットという「風だけで進む乗り物」で世界を三周もしました。僕の人生はかなり極端なもので、そのまま皆さんに当てはめることはできないと思います。しかし、参考にして自分の人生を考えてもらえれば幸いです。


海にいるとき、当然のことですが周りには誰もおらず自分だけです。発生した困難は、誰かが解決くれるわけもなく、自分で立ち向かうしかありません。その昔、日本が鎖国をしていた時代、世界はまさに大航海時代でした。その頃、一人で大海原に乗り出すヨットマン(Sailor)を例えに使って「あいつはSailorだ」という言い方があったそうです。日本語に置き換えるなら、「あいつはSamuraiだ」といった意味だったようです。


ヨットは小さな乗り物と言っても、マストは高さ20m以上あります。これが風だけの力で進む。嵐や竜巻、氷山を避けながらの航海です。今はこうして皆さんに話せていますが、レースをしているときは、明日死ぬかもしれない状況です。また、世界一周についても2回目まで大きく失敗して、3回目で初の成功でした。決して順調に今までやってきたわけではありません。そんな人生で僕を支えてきたのは、肉体の筋力もそうですが、「心」の筋力とでも言うべきものでした。

喜多川泰氏

-白石 康次郎  氏

■夢を持ったきっかけ

世界一周と簡単に言いますが、エントリー費300万円に対して賞金200万円。整備費用やレース中の費用なんて、賞金だけでは間に合わない。レースは得するためにやっているのではなく、僕の夢なんです。


皆さんは、夢を持っていますか? 急に夢を持てと言われても、すぐに持てるものではありません。きっかけのようなものが必要です。僕の場合、子供の頃の好奇心が夢に育ちました。それは、ある友達の何気ない言葉からでした。

「地球ってのは丸いんだ。ぐるっと行くとアメリカがあって、もっとぐるっと行くと、元に戻ってここに来るんだよ。」

これを聞いたとき、

「へぇ!それじゃぁやってみよう。」

と思った。これが全てです。他には何もない。このときの気持ちが今の僕を作り、支えています。実は、僕は船酔いが激しい。だから、ヨットなんて苦手な乗り物です。それでもやっていられるのは、子供の頃の純粋な気持ちが僕を支えているからです。

■幼少時代

僕の父親は昭和一桁生まれ。祖母は明治生まれ。そんな家庭で育ちました。

父はとてもタフで、未だに家にクーラーがない。「暑いねぇ」と言うと、(お前、今頃何言い出すんだ?)という顔で「康次郎、夏はな、暑いんだ。」と返される。冬に「寒いね」なんて言ったら、「そうか、じゃぁ廊下を掃除しろ」と言われる。


祖母は、もっとすごい。地震で揺れても「関東大震災んときゃぁもっと揺れた」とか、「忠犬ハチ公は、かわいかった」とか、平気で言う。

とにかく躾には厳しい家庭でしたが、人生にかかることには「自分で決めなさい」と言われたことが、とても心に残っています。 この環境こそが、僕の「精神筋力」の土台を作ったのかもしれません。

■小、中学校時代

僕は、遊びに熱心で勉強はしない子供でした。成績はオール2。なぜ1ではなかったかというと元気がよかったからだそうで、後の同窓会で担任の先生から知らされました。


ところが、先生も黙って見ているわけではありません。

「今度こんな点数取ったら、休み時間を取り上げる。」

僕はとても焦りました。当時の僕は、休み時間のために学校に通っていたようなものですから、これは死活問題です。必死に勉強して次のテストで満点を取りました。


そんな一部始終が、家庭訪問で家族に告げられました。厳しい父でしたから、怒られると覚悟しましたが、冷静な声でこう言われました。

「勉強できなくても構わない。でも、それを将来、人のせいにだけはするな。」

意外でしたが、当時の僕は素直でしたから、すんなりと父の言葉を飲み込み、こう考えました。

「うん、分かった。人のせいにはしない。だから、遊ぶ!」


中学校を卒業する頃、僕は前々から考えていた進路を先生に話しました。それが、水産高校への進学でした。水産高校というのは、3年生になったら実習ということで船に乗れる。


先生は非常に驚きました。無理もありません。僕が通ったのは結構な有名校で、そこから水産高校に進むというのは、どうやら開校以来「初」のことだったようです。

■水産高校

水産高校では、厳しい指導が当たり前でした。海は人間が作ったものではないので、そこに乗り出す人間を育てるのに、若いうちに体で覚えるようにするためです。やるべきことをやらないから、ケガをするし命を落とす。命を落としたら、取り返しはつかないし、全員にずっと付いているわけにもいかない。「やってはいけないものは、いけない。」僕が水産高校で教わったのは、そういう「厳しさ」でした。まさしく、体の筋力と心の筋力がぐんと成長した時代です。


君たちが世の中に出て、全てがうまくいくことなんて、絶対にない。その時に、逃げずにどう対処するかが、とても重要です。


水産高校は自分が行くと決めた学校ですから、とことんやると決めていました。それこそ、寝ずに勉強したのです。その結果、成績はいいし打たれ強い僕は、就職もバッチリと誰もが思っていましたから、そんな僕が「就職しない」と言い出した時、先生もきっと驚いたことでしょう。この時、憧れていたヨットの師匠への弟子入りを既に決めていたのです。

未来塾に参加した学生の写真

■師匠との出会い

僕のヨットの師匠は、多田雄幸さんという長岡出身の方です。タクシーの運転手をしながら38歳でヨットに出会い、お寺の空きスペースを借りてヨットを自作し、52歳で史上初の世界一周単独ヨットレースで初代優勝者になった、すごい人です。


学校が休みの時、何のあてもなく東京に出て行って、電話帳で師匠の名前を調べて会う約束を取り付け、水産高校を卒業後に弟子にしてくれるよう直談判しました。師匠はこう答えてくれました。

「おめさんがそうしてぇなら、そうしなせ。」


師匠は、天才タイプでした。いつも酒を呑んでいますが、荒れた天候でヨットを操縦すると、スッと船が安定する。人付き合いも含めて、人生を楽しむ達人とも言えます。実は、船のことを直接教えてもらったことはほとんどありませんが、ヨットから人生まで、とても多くの事を学びました。

未来塾に参加した学生の写真

■卒業後

ところが、いざ高校を卒業していざ師匠を訪ねると、師匠は「鬱」の時期でした。それで仕方なく、一旦造船所に住み込みで働くことにしました。将来船に乗ると、修理は自分でしなければならない。将来的に必要な技術を身につけることができると思ったのです。「給料は、いりませんから置いてください」と言ったら本当に無給でしたが、そこに住ませてくれて食事もさせてくれました。今、就職難なんて言われますが、仕事は(やるべきことは)、世の中にたくさん転がっています。

■師匠のレース

ある日、師匠から連絡がありました。

「還暦祝いに、レースにでる。」

同時に、師匠は僕をある親方のところに預けたのです。後で分かりますが、今後のヨット人生に大きく影響する師匠からの連絡でした。

しかしそのレース、シドニーのチェックポイントで待ってもなかなか師匠のヨットが入ってきません。かなり後半でようやく師匠の姿を見つけましたが、横転の繰り返しで損傷が激しく、師匠はその後レースを棄権してしまいました。その後鬱状態になり、ついにホテルで自殺してしまいました。


自殺の背景には、周囲の期待にかなり焦燥感を感じていたのもあったようです。僕は、関係者への連絡や迷惑をかけたスポンサーへの挨拶まわりなどで忙殺されましたが、一段落したとき、ふと考えました。

「師匠も船も僕自身も幸せになれるように、僕が師匠の夢を叶えよう。師匠の船を修理して、僕が世界一周しよう。」


このとき、僕は一文無しでしたが、強い思いだけはありました。夢を追うとき、失うものを持っていてはいけないと思います。

■夢をかなえる

まずは、スポンサー集めですが、とても難航しました。しかし、僕には誰にも負けない「情熱」がありました。師匠の船を修理して世界一周するという、強い思いがあったのです。


そんな僕に、手を差し伸べてくれたのが、師匠に紹介された親方でした。有り難かった。おかげで、師匠の船を修理でき、世界一周に出発できました。でも、失敗に終わりました。一回目だけならまだしも、二回目も失敗でした。私も常識人ですから、ここまで来ると「恥ずかしい」とか「申し訳ない」という気持ちでいっぱいになります。


そんなある時、師匠に教えられた「座禅」を思い出しました。座禅というのは、行をする以外には何もしない。座禅をしていると、余計な考えを捨てることができて、ある思いに至りました。「僕は何のために、ここにいる?世界一周をするためだ!」

本来の目的に心がたどり着いたとき、「恥ずかしい」「申し訳ない」などは克服できる小さなことだと思えるようになりました。昔、師匠に言われたことを思い出しました。

「己を捨てて海を見ることで、初めて見えてくるものがある」


僕は、皆さんに比べて船酔いしますし、お金も人脈も学力もありませんが、誰にも負けない情熱を持っていますし、周囲の人に支えられています。


皆さんも、目的を見失わず、目の前のことから逃げずに強い情熱で取り組めば、きっと困難を乗り越えることができます。頑張ってください。

本日は、ありがとうございました。

■編集後記

参加した学生も将来気づくだろうが、人生では日常生活の中で様々な困難に直面する。そんなとき、目的を見失わないために「精神筋力」が必要であり、それを支えるのが「志」であろう。


昔から旅人は、北極星を目印にして自分がいる場所や進んでいる方向を判断したという。人生でも、夜空で光る北極星のようなものを見つけることが必要なのかもしれない。道標や周囲に頼りながらも「精神筋力」で困難に立ち向かえば、きっとゴールにたどり着ける。そして自分自身が周囲を照らす「地上の星」にだってなれるのである。


白石氏の波瀾万丈な人生にドキドキしながら、熱いものが胸に残った夜であった。学生諸君、今のうちに精神筋力を鍛えたほうがいいぞ。


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