「日本人という生き方」
講師:小田島 裕一
1968年、北海道札幌市生まれ。小学生時代に野球に目覚め、大学までプレー。大学を卒業して中学英語教師となったが、教師生活5年目、メジャーリーグに挑戦する日本人選手の姿に感動し、国際貢献という夢を持つ。「野球」への恩返しとして青年海外協力隊を目指し8回目の挑戦で合格を勝ち取り、2006年より2年間、ウガンダ共和国で野球隊員として活躍。ウガンダでは高校の野球部監督もやりながら、ナショナルチームの監督にも就任。北京五輪の予選を戦った。活動を通じて、「自分さえよければいい」というウガンダの人々の考え方を大きく転換させ、周囲を驚かせた。
ウガンダでの活動が認められ、2008年1月、14名のウガンダの野球少年と来日した。その際に日本のチームと戦い、野球後進国のウガンダとしては奇跡的に引き分けで試合を終えた。
現在、「立志塾」として「志」をキーワードにした講演を日本全国で展開している。
-小田島 裕一 氏
第1回に喜多川先生、第2回に白石さんを迎えている「志・未来塾」に、3回目の講師としてお招きいただき、光栄です。
以前私は、中学校で英語の教師をしていましたが、海外経験もなく、いわゆる「英語の話せない英語教師」で、行き詰まりを感じていました。その頃、アメリカのメジャーリーグに挑戦する日本人選手のことを知り、(自分も野球をしていましたから)とても感動しました。そして自分の海外への挑戦として、青年海外協力隊で野球隊員として貢献したいと願うようになりました。教員という仕事を捨てることについては、当時結婚して家族もいましたので、当然ながら大きな反対にあいました。しかし、夢をあきらめた教師として、生徒に夢を持てとは語れないと思ったのです。
今回、野球を通じてウガンダ共和国というアフリカの国で経験したことをもとに、「日本人という生き方」について私が感じたことをお話ししたいと思います。まずは、映像を見てください。
映像は5年前のもので、私が教えたウガンダの高校野球部員たちを北海道に連れてきて、日本ハムファイターズの中学生選抜と札幌ドームで試合をした時のものです。この時、本当に夢は叶うんだと実感しました。ウガンダの選手が日本で野球ができること自体が驚くべきことですし、多くの企業から協賛して頂いてこの試合が実現したのも驚くべきことです。
しかし最も驚くべきことは、試合結果が0対0の引き分けだったことです。ウガンダでは野球はとてもマイナーなスポーツで、選手は日本人の投げる球を「速くて見えない」と言う状況です。こちらが高校生で相手が中学生でも、大差で負けても不思議ではありませんでした。ウガンダのピッチャーはそもそもストライクが入らない程の実力でした。ところが試合になると、ストライクが入るし、日本人を何とか打ち取っている。投げている球は、ウガンダでは見たことのない変化球でした。本人が「田中スライダー」と名付けた変化球は、私が日本から持参した数少ない日本の野球映像で覚えたものを、ぶっつけ本番で試したんだそうです。
野球というのは、2〜3回は勢いで勝てますが、それ以降は野球の神様が味方に付いていないと勝てません。今回、それができたのは、日頃からやってきた活動が良かったということだと思っています。
日本にいると当然だと感じていることが、海外に行くと違うことがよくあります。ウガンダに行って野球部の高校生と接して思ったことは「時間を守らない、あいさつをしない、掃除をしない」ということでした。
そこで、私は「日本のやり方でやりたい、野球を通じて人間教育をしたい」と思いました。事前に、「体育会系で日本のやり方では通用しない」と忠告されていましたが、他にできることもありませんし、日本に帰っても退職していますから帰る場所もありません。不退転というか、必然的に覚悟して取り組むことになりました。
ただ、ルワンガ氏という現地スタッフがいて、私の唯一の理解者であったことは救いでした。(ただ、このルワンガ氏にも相当悩まされることになりました。しかし、ルワンガ氏からもたらされる悩みが私を成長させたのかもしれません。)
ここで、もう一つ映像を見ていただきます。現地での私の取り組みの様子です。
見ていただいたとおり、まずはチームの理念を明確にし、時間を守ること、あいさつをすること、掃除をすることを徹底しました。もちろん言うだけでは定着しません。朝早くから起きてゴミ拾いや掃除をすることから自分自身が率先して行いました。
世の中は捨てたものではないと感じるのは、次第に選手も変わりはじめ、朝の掃除を一緒にするようになって200回を過ぎたころに札幌ドームでの試合の話が出はじめたことです。さらに400回のあたりでドームでの試合が実現して、600回の頃にはウガンダのナショナルチームに勝ってしまいました。
実は、私自身が日本にいた時、あいさつや掃除なんてやれていませんでした。ウガンダに行って、時を守ること・場を清めること・礼を正すことの大切さを改めて感じ、行動できたのです。
ウガンダの学校の仕組みは、3ヶ月登校したら2ヶ月休みというものです。せっかくの野球教育が、これでは何も定着しません。休みの間、選手を学校に置いておけないかとルワンガ氏に相談すると、学校に掛け合ってくれ、早速OKが出ました。ただ、休み期間なので給食が出ません。そこで選手の食事をこちらで用意しようということになり、食材の費用をルワンガ氏に渡して仕入れを頼みました。すると、ルワンガ氏は費用を持ったまま行方不明になってしまいました。校長に抗議しても、あまり深刻に受け止める様子もありません。現地のことわざに「人に大金を渡すと、罪人をつくる」というのがあるそうです。(後日、ルワンガは“sorry”と、ニヤニヤしながら現れます。全てがこの調子で、もう怒るというか、言葉になりません。)
日本ではまず考えられないことですが、ウガンダという国では起こりえる事態。海外に出てみないと、そして経験してみないと分からない日本のすばらしさに直面した出来事でした。
国民性の違いに悩んでいた頃、ウガンダで最も有名な日本人である柏田雄一氏に出会いました。柏田氏はウガンダで工場を経営されている有名な方です。
「どうやったら、アフリカ人を躾ることができますか。」
私の質問に、アフリカに来た当時のことを話してくれました。当時、工場を作って日本的な取り組みをしようとしていたことが、ウガンダ内でバッシングされていました。一方で内戦が激化していた時代でもありました。ある日、大勢の兵士が柏田氏の工場に押し寄せ、「ブガンダ族だけを集めろ」と言ったそうです。これに対して柏田氏は、
「ここは俺の会社だ。一歩入ったら、人はみな私の家族だし、”雄一族”だ。差し出せる人は一人もいない。」
これに驚いた兵士のリーダーは、
「お前はすごいやつだ。」
と感心して去っていったそうです。柏田氏によると、あの時、日本人として卑怯な生き方をしたくなかったそうです。
それから工場に勤めるブガンダ族の間で、柏田はすごい奴だ、口だけじゃなく命がけで守ってくれた、あいつの言うことをきいてみるか・・・という風になったそうです。今では、”ウガンダ人が日本人のように一生懸命働く工場”として有名です。
安岡正篤氏の言葉に「人の生き方は、何にしびれるかで決まる。」というものがあります。
私は、柏田雄一というホンモノにしびれたのです。それまでの自分の生き方は、手っ取り早く選手を育てて自分がすごいと思われたかった。それが、柏田氏と出会って、自分自身がホンモノの日本人に成長したいと思うようにさえなったのです。
海外で様々な活躍をする日本人の話を見聞きすることで勇気をもらったことも多くありました。
インドの地下鉄は、日本のODA(政府開発援助)で作られており、それは単なる費用援助だけでなく、担当者を現地に派遣して「納期を守ること」という文化を伝えました。さらに、工事が完成したら車両に日本人スタッフがストップウォッチ片手に同乗し、運行時間を守る大切さを伝えました。今、インドの地下鉄は国内で唯一、「時間どおりに動く」交通機関だと言われています。
サマワに平和維持活動として派遣された自衛隊は、現地の人たちと一緒に汗を流して作業をすることで信頼を獲得し、海外の軍隊から驚きの目で見られました。
ソニーの創設者である盛田氏は、ラジオをブランドごと売ってくれという申し出に対して、プライドを手放すわけにはいかないと自社での販売にこだわり、高い品質のラジオを武器に会社を大きくしました。
活動を通じて、あるいは様々な日本人の活躍を通じて、感じたことがあります。自分が今ここにいて、何をすべきかを考えれば、きっと進むべき道が見えるということです。私は野球による人材育成という道をウガンダで見出して、冒頭のような結果を出すと同時に、私自身が日本人という生き方のすばらしさに気づくことができました。
日本という国は、歴史的に見て大戦や震災といった状況から復興してきました。これらは、世界的に見ても驚異的な復興です。そのプロセスにおいて、様々な人が志を立てて活動してきたのです。その集大成が、現在の日本という素晴らしい国家を作っています。立志へのプロセスは、感謝→報恩→夢→挑戦→実現という順番です。皆さんも何らかの志があって、今の学校だったりこの「志・未来塾」にいることでしょうから、ぜひ皆さんの夢を明確にして、挑戦して実現してください。
人に貢献する生き方をテーマとしたグループディスカッションの発表で、ひとつ感心した話がある。
「相手を幸せにする生き方とは、日常にあふれる出会いに感謝すること。メンバーの一人にパン職人を目指す人がいる。高校時代に食べたパンのおいしさに感動して、自分も多くの人に美味しいと思ってもらえるパンを作りたいという想いで、今は頑張っている」
専門学校の学生が、こういう想いを持って学んでいることがとても誇らしく、その想いの土台に日本人であることが影響しているのかもしれない、この学生達全てが海外に貢献できる可能性を大きく含んでいると感じた。
さて、講演を聴いていて中島みゆきの「BA-NA-NA」という曲を思い出した。
「アジアの国に生まれ来て アジアの水を飲みながら
アジアの土を這い 風を吸い
強い国の民を真似ては及ばず」
我々日本人は、日本という国に生まれてきて、
水も土も緑も、平和も便利さも当然のように生きている。
しかし、一歩海外に出れば全くと言っていいほど異なる環境が存在し、
そこに人々が我々と同じく生きている。
ならば、人生の中で一度は海外に出てその違いを感じてみるのも素晴らしいことだし、
日本人の素晴らしさを土台とした自分の強みをもって貢献するのも、
「進むべき道」として素晴らしいのではないか。
学生諸君、世界が君を待っている。
なぜならば、皆さんは誇り高き日本人なのだから。